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スペシャルインタビュー
11月20日(日)に開催される第41回大分国際車いすマラソン。
OBS大分放送ではレースの模様を実況生中継します。
番組応援アンバサダーの中村仁美さんが、プロ車いすアスリートの廣道純さんにレースの見どころや選手たちの思いを聞きました。
(左:中村仁美さん、右:廣道純さん)
レースのみどころは「スピード」と「駆け引き」
(中村仁美さん)
早速ですがレースの見どころを教えてください。
(廣道純さん)
そうですね、車いすマラソンのレースは、何と言ってもまずはスピード。2本の腕だけで車輪を回してるから、腕で逆立ちして歩いてるわけではないんだけども、2本の腕でこんなスピードが出るのかっていう速度で走っているんですね。一般のランナーがフルマラソンを走るのって2時間ぐらい。2時間でもめちゃくちゃ速いわけですよ。でも車椅子は去年世界記録が出てますけど1時間17分。初マラソンで2時間切るっていう選手が結構ざらにいるぐらいの、そういう世界なので、まずそのスピードを見て欲しいなと思います。
その速度で走ってる選手たちが実は途中で駆け引きしまくっているんですね。例えば空気抵抗との戦い、それだけ速くなってくると前からの風圧をめちゃくちゃ受けて走るんです。自転車のレースと同じような感じで、その空気抵抗をいかに減らすかっていうので、選手が縦に連なって人の影に隠れて走るんだけど、それを嫌って前の選手がジグザグに走ることもあれば、みんなで一緒にスピードを上げようと、ちょっと疲れたら後退して先頭を交代しながら走ったりする。その動きがある都度、スピードの上げ下げが起こって力のない選手はふるい落とされて集団から消えていくっていう、そんな走りをしてます。
(中村仁美さん)
なるほど。私は車いすマラソンって言うと、水族館の魚の群れが泳いでいるような感じで、フィニッシュに誰が先に出るかみたいなイメージなんですが?
(廣道純さん)
10年ぐらい前までは、そういう集団みんなで一緒に協力し合って空気抵抗を減らして、みんなでタイム出しに行こうみたいな走りをしていたのが、本当ここ数年、まず車椅子の性能が変わってアルミでできてた車椅子からカーボン製に変わってね、一部の選手だけが。空気抵抗がものすごい極端に少なくなって集団で一緒に走る必要がないぐらい。もう1人で風を切って走った方がタイムが出せるっていうようになった選手たちが、スタートからもダッシュで行ってしまう。だからスタートダッシュが勝負、去年なんかも、ヨーイドンで最初の舞鶴橋っていうスタートから1キロ弱のところに橋があるんだけども、その時点で2人が逃げて行ってしまって、勝負が決まったというような。だから本当に、集団走がここ数年無くなって、前半スタートで食らいつこうとした選手たちがスピードでついて行けなくてへばってしまうから、後半元々持ってる力よりもだいぶタイムを遅くしてゴールしてる、そんな印象ですねここ最近は。
第40回大分国際車いすマラソン(2021年)
(中村仁美さん)
私も水泳をしていて、自分のここだっていうラストスパートが強かったらそこにかけるとか、スタートダッシュとかもあったり、折り返しのターンはここで抜かせるっていうのがあったりしたんです。マラソンもそういうところがあるんですか。
(廣道純さん)
水泳っていうのはコースを決められたコースの中で自分との戦いで泳ぐ感じがしてて、車椅子の場合は集団の中に入りさえすれば結構力の差があったとしても引っ張られていいタイムが出せたりっていう、若干、他力本願的なところがあったりしてそこもまた魅力の一つかも。
1対1でタイムトライアルをしたらあいつが絶対早いよなっていう選手が先頭で引っ張り続けたことによって、あいつ本当はそこまで速くないのにっていう選手が最後にひょいと、ゴール前で刺して勝つこともできてしまうような、絶対速い選手なのにっていう選手が負ける可能性があるっていうのが面白い。
(中村仁美さん)
面白いですね。絶対的にその自分の力だけで1位取れたっていうわけではなく、風の使い方、集団の入り方とかあるんですね。
(廣道純さん)
よく中継とか見てると、今何位は誰々、何位は誰々…みたいになってしまうけど、実は3位集団に10人いれば、その中にみんなに3位の可能性があるわけで3位としてカウントし、次は例えば10人いれば次は14番グループみたいな感じで僕らはゴールまでこの中で誰が勝つかわからんっていう読み方をしてる。
逆に言うと集団からこぼれた選手はもう復帰して追い上げてきて、もう1度勝負を仕掛けるということは100%ないというぐらいに見てるので、もう離れていったら終わり。先頭で逃げた場合は、もう逃げた選手がそのまま勝ってしまうっていう見方をしてますね。
(中村仁美さん)
初めて選手側の視点を聴けました。私もレースを観ていると選手がしんどそうだと、もう本当に下を向いてみんな一生懸命がんばっているじゃないですか。なんかこっちが見てると後ろから押したいなとか思うんです。
(廣道純さん)
去年コースが変わって、周回コースになって、橋を超える回数が若干増えている。大分のコースって世界でも本当に数少ないフラットなコースで路面もアスファルトが綺麗でね、走りやすいコースって言われている。でもその中に弁天大橋と三海橋を行ったり来たりで何回か越えないといけないというので、そこが勝負のわかれ目になったりもしますね。先頭集団は平坦の速度が速くて、そのままの勢いで坂を上り切ってしまうけど、遅いグループの選手だとその坂を登りきれずに関門で引っかかってみたいになってしまう。選手たちの障害の度合いにもよって、手に麻痺があって障害が重いクラスの選手なんていうのは、この大分のコースでも坂がきついって言っていて、それをいかに克服するかなんです。だから練習で平坦ばっかり走るんじゃなくて、ちゃんと登りの練習もしないといけないし、スタートダッシュの練習もしなきゃいけない。
第1回大分国際車いすマラソン(1981年)
「おおいた」が世界から注目される理由
(中村仁美さん)
大分国際車いすマラソンは、他の国際大会の中でも一番大きな大会と聞いてるんですが、他の大会とこの街の違いや、この大会ならではの良さがあれば教えてください。
(廣道純さん)
大分国際車いすマラソンっていうのは日本で一番最初に始まった車いすマラソン。日本で大分の大会が誕生したことによって、全国各地にいろんな大会が生まれていった。海外でやってる大会っていうのは、車いすだけの大会というよりも、健常者が走るランナーの大会の中に、車いす部門として入ってる大会が多くて、スイスとか何ヶ所かで車椅子だけの大会というのはやってるんやけど、やっぱりどこの国も車いすのためだけに交通規制をかけたり、ランナーを集めても選手の数が少ないからなかなか大会を開くのが難しいかったりするんです。
日本は車いすに乗ってる人たちに対して、病院の施設の人とかが「車いすになったマラソンしたら」って当たり前に言うぐらい、車いすマラソンを始める人が多かったんですね。日本の選手だけで、多いときは300人ぐらい、そこから海外の選手が100人ぐらいやってきて、一番多いときは最大で500人近くのランナーが集まったりして、車椅子だけで500人というのは世界の選手たちからすると「日本はどうなってるんだ」って言うような、それぐらい特殊な光景です。しかも車いすマラソンなのに沿道に人が集まる。これも大分ならでは。大分はこの日に車いすマラソンがあるとみんなが知ってて、応援に来てくれる、そんな街なんです。
(中村仁美さん)
普段は県外でお仕事をされてて、でもこの大会のために帰ってきて、ボランティアとしてお手伝いをされるっていう方が多いくらい、すごく熱い大会だっていうふうに聞いてます。
(廣道純さん)
40回を超える歴史があるから、幼稚園のときに沿道に出てみんなで応援してたとか、小学校のときに車いすマラソンの選手が学校に来てくれたとかっていう人たちが社会人になってボランティアとして参加したいっていう方もいるし、学生のときにボランティアで参加していて、就職で県外に出たけどこの大会だけは外せないって、わざわざ本当に戻ってきてくれる方もいます。1年に1回、海外の選手も含めて、久しぶりにみんなで集まってっていう光景をね、僕も第11回大会からずっと出てるんでもう30年超えてるんだけど、そういう光景をずっと見てきたから、本当に日本に大分国際車いすマラソンっていうのがあってよかったと思ってます。ここ大分で車いすマラソンが誕生してなかったら、日本の障害者スポーツ界っていうのがここまで発展してなかったし、世界に出ていく日本の選手っていうのがこんなに増えなかったなっていうのも感じてます。また、何より大分の街がバリアフリーになってたりとか、車いすで町中いろんな多国籍の海外から来た車いすの人たちが、町中をうろついてても誰も不思議に思ってない、そういう光景がなんかもう当たり前になってるっていうのがすごい。
第5回大分国際車いすマラソン(1985年)
車いすアスリートとしてのきっかけは?
(中村仁美さん)
そもそもなんですけど、廣道さんは車いす生活になってから、なぜアスリートとしての道を進もうと思ったんですか?
(廣道純さん)
きっかけはただ単に元々スポーツが得意だったし好きだったし、自分の中ではもう勉強嫌いでスポーツしか取り柄がないっていう生活をしてて、歩けなくなってどうしようって思ってたときに、入院中の病院のリハビリの先生が「車椅子でもスポーツできるよ」と言ってくれた。それを聞いた瞬間「またスポーツできるんや」と。そして入院中にスポーツセンターに見学に行ってマラソンしてる先輩たちを見て、退院した翌日から障害者のスポーツセンターに行ってみんなに教えてもらって、その退院した半年後に大分の車いすマラソン初出場。若かりし17歳でデビューです。
(中村仁美さん)
入院生活から車いすで、またスポーツ選手としてやろうっていうメンタルの切り替えがすごい。
(廣道純さん)
これも人それぞれなんやけど、俺の場合はバイク事故で死んでたかもわからんのに助かった。そこで自分の人生リセットしてる感じで、助かったんやからもう一度、第2の人生あるっていうときに、「車いすでもスポーツできるよ」と。だからもうこれを選択しない理由がないぐらい、自然な流れで関西から大分にやってきました。
まだまだ現役で頑張ると意気込む廣道さん。
選手たちのゴールした瞬間の表情に注目
(中村仁美さん)
廣道さんはタレントとしても活躍されていますけど、まだレースには出場されているんですよね?なおさら大会が楽しみになりました。レースで最も見ごたえがあるところはどこですか?
(廣道純さん)
スタートですね。一斉に両方の車線から車いすが走り出すんですが、ちょっと離れたところから向かってくる姿を見てほしいなというのと、あとやはりゴールですね。フルマラソンの選手がハーフの選手を追い越すぐらいの速度で競技場に帰ってくるところとか、フル・ハーフどっちの選手もゴールした瞬間の「終わった」っていう顔を1人1人見てほしいなと。もうヘロヘロになって帰ってくる選手もいるし、余裕でガッツポーズして入る選手もいるし、その辺を見てほしいなと思います。
(中村仁美さん)
スポーツって表情から伝わるものがいっぱいありますから、それまでどんなことをしてきたかの思いが全部詰まってますから、ぜひ見ていただきたいポイントですね。
(廣道純さん)
俺が泣いてたりね。
(中村仁美さん)
見てみたいです(笑)。最後の質問になるんですが、障害者スポーツ大会の意義とは?
(廣道純さん)
大分の街を見て思うんだけど、スポーツを通してみんな普通に生きれるんだっていうことを知ってもらえるし、普通以上に努力してる人がいるんだっていうことも見てもらえるかなと思うし、街中にたくさんの障害を持った人があふれかえることが普通だと思えるようになる。車いすの人も普通に居るし、目の見えない人も普通にいるしっていうのを、僕らはスポーツを通してレースを通して、普通をアピールさせてもらっている。それが浸透していけば、全国から障害者差別なんていう言葉がなくなっていくと思うし、「普通に接したらいいんだ、気遣いしすぎてたんだ。気を遣わずに無視するのもよくないけど、普通に接したらいい」っていうのを何か感じて欲しいと思いますね。
終始、和やかな雰囲気で撮影は終了した。
第40回大分国際車いすマラソン(2021年)
中村仁美さんプロフィール
ライブ配信サービス「SHOWROOM」の番組応援アンバサダーオーディションによって選ばれた、佐賀県を拠点に活躍するモデル・タレント。
水泳でJrオリンピック出場、ソフトテニスで九州3位・インターハイ出場など、スポーツと縁が深い人生を歩んできた中村さん。明るくハツラツとした雰囲気が印象的でした。今後、ますますのご活躍をお祈りしています!